反日から親日への歩み一
共産独裁国家で生まれ育った私は、長い間シナの反日愛国主義教育を受けで、二十代前は日本のことが嫌いだった。日本語の勉強を始めたきっかけは、厳しい就職活動の中で英語のほか、もう一つの外国語を身につけたら、有利な条件となると思った。当初は、日本語の勉強には少し抵抗感があり、とくに父親に「日本鬼子の話を勉強するな」と言われて、一度あきらめる気もあったが、結局自分の学習意欲と就職への執念にまけてしまった。
日本語を勉強してから、ある日一つの問題を発見した。シナ教科書は、戦時中シナで起こった様々な残酷な事件は、日本軍の「三光作戦」(三光作戦は中国語で殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くすという意味である)による結果であることを書いていたが、日本語で「光」という語彙は、明るい、光るもの、希望等を指す意味で、中国語で使用する「光」の、「何もない」、「からっぽ」等の用法は存在したことがない。例え、日本軍は本当にそのような作戦命令を指示したとしても、作戦名を「三光」と付けるわけはない。きっとどこかに誤りがあったのではと思っていた。
そのような不審点を見つけた後、シナのテレビ局が放送した「中帰連の元日本兵」を紹介する番組特集を見た。その番組の内容は、中帰連の元日本兵は日中戦争の時、どのような残酷な方法で、無実なシナ人を虐殺したということを自ら告白していた。しかし、死刑になるはずの重罪を犯した彼らが、戦犯管理所でシナ人の職員から手厚く献身的に優遇され、最後には全員が人民政府に赦免され、解放された感動的な物語だ。日中友好を回復してから、彼らはシナ全国で謝罪の旅を展開し、シナの抗戦記念館や南京大虐殺記念館や平頂山記念館など次々訪問し、シナ人民に謝罪と感謝の意を表すために、日本で募金したお金で元戦犯管理所の跡地に謝罪碑を建てた。その番組を見てから、また不審点を発見した。これらの日本兵は、シナで十数回謝罪の旅をしたそうだが、なぜ自分の手で殺したはずのシナ人被害者の遺族や親戚の所に一回も訪問や謝罪していないのか、もし彼らの発言が全て事実ならば、官製愛国主義教育基地の訪問や、謝罪碑を建てるより、シナ人被害者の親族への謝罪や賠償をすべきではないでしょうか。この不審点を考えたら、私は初め、これらの日本人が嘘をついていたのかと疑っていた。
1997年、海外にいる友達と連絡を取るために、インターネットを勧められた。あのとき、シナでインターネットの使用者はかなり少なく、そしてシナ共産党の管理部門はインターネットの遮断技術がまだ不十分のため、今まで知らなかった沢山の事実をインターネットやチャートルームを通して知ることができた。一番ショックを受けたことは、天安門事件の真相を知った時で、あれ程無実な学生や市民が解放軍に惨殺されても嘘をつき通すシナ共産党政府に、怒りを覚えた。まさか、これまでの教科書内容やメディアが教えているものは全てデタラメな嘘であると気がついた。(続く)
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