スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

満洲はシナではない

当ブログの主旨に賛同する方はクリックお願いします。
豚のダンス 

満洲はシナではない

qvod_pic_56065_20100107145804604.jpg
現代京劇「紅燈記」

d8_12_sb.jpg
当時満州人の生活を描いた絵


偶然ほかのブログでこのような趣旨の発言を見つけた。「シナ人は朝鮮人より良い、残留孤児を我が子として大事に愛育した方々がいます」。その発言を目にした瞬間、日本人のシナ歴史、領土認識の不足を改めて痛感した。以前の文章にも書いたが、満洲はチベット、ウイグルと同じ、シナ人に横取りされた土地、シナの植民地である。確かに現在満洲の住民は大半が漢民族である、しかし、これらの漢民族の大半は19世紀後半から20世紀中期、次々、シナの山東、河北各省から移民してきた漢人、現在満州国の漢民族はその移民達の子孫である。満州国は建国の初期、土地が広く人口が少なく、満州国政府は「五族協和」「王道楽土」の政策を掲げ、飢饉と戦乱に満ちていたシナ大陸から年間100万人単位の移民があったという。しかも、その移民の大半が満洲国で土地を獲得し、就職することもできた。

かつての満洲国の国民の生活は豊かで、先進教育、交通発達、治安良好、まさに本当の「王道楽土」であった。シナ人民主活動家、2010年のノーベル平和賞受賞者劉暁波も満洲国の漢族移民の後代、かつて米国に亡命したシナ人民主活動家で元人民日報の記者劉冰雁も自分の書いた文章で旧満州国を肯定する内容がある。

シナの文化大革命での様板劇(模範劇)「紅燈記」は、シナ共産党の中央宣伝部が作った反日プロパガンダ劇、その内容は満鉄で働いているシナ共産党秘密党員李玉和一家は「日本鬼子」と戦う革命闘争の物語である。しかし、その中には、当時満州国の実際の生活水準も明らかにした。満鉄の低層労働者である李玉和氏の給料は、母親、娘、自分、を養うだけではなく、二人の友人の家族も養い、しかも衣食を満足できる生活。さらに、劇中の悪役「日本鬼子」鳩山は以前満鉄の従業員病院の医者として李玉和を診病したことがある。今のシナでも、普通の人でこんなレベルの生活はなかなか想像できないだろう。

「紅燈記」を含むシナの文化大革命での八つの模範劇は、最高リーダーである毛沢東夫人江青が、自ら監修した現代京劇、劇本、内容、役者、背景等全て厳格な政治審査を通していた。もし「日本鬼子」、「偽満州国政府」の統治を賛美する内容があったら、制作人員全体が「日本侵略美化」の罪で命を落としてしまうだろう。当時、誰がそんな大胆な事ができただろうか?だから、答えはただ一つ、それが日本統治下の満州国国民の真実の生活。そして年間100万人のシナ人移民が満州国へ移住した真実の背景。シナ漢民族の移民を含む、満州国の大多数の国民は、心から満州国政府、関東軍の統治を支持していた。実際、シナ共産党の抗日遊撃隊リーダー湖南省の杨靖宇、四川省の赵一曼は満州の漢族移民でなく、そして、彼らが満州国で行った抗日活動は多数の満州国国民の支持を得ることができなかった。

満州は日本敗戦以前、一度もシナ漢民族に支配されたことがなかった。独自の言語、文字、文化を持ち、千年以上の歴史がある民族。かつて、二度シナ漢民族の土地へ侵攻、一度東アジア大陸に広大な大清帝国を創立した。現在シナの所謂国服チャイナドレスは実は満族の伝統民族衣装。過去に漢民族に支配された経験がない満州人は、千年以上シナ漢民族の奴隷となった朝鮮民族と本質的に違う。満州国時代に経歴した多くの満州国の漢族移民(彼らも満州人と言うこともできる)も心から日本人に感謝する気持ちをもっている人が多かった。だから、彼達は戦後、日本人孤児を養育した。日本孤児を養ったのはシナ人ではなく、満州文化で育った満州人ある。

中華人民共和国こそ満州を侵略した国である。シナ共産党は満州国内の莫大な資源を略奪し、満州人の言語、文化、民族意識を消滅させた。なぜシナの北京、上海、広州などの都市は経済発展ができたのか、これらの漢民族の都市の為に、満州、ウイグル等の殖民地から奪った石油、鉱石などの自然資源を投入した結果である。しかし、資源を失い、綺麗で豊かな旧満州地域は貧困地域に転じた。

今、わずかな満州人は満族復興、満州国独立の夢を実現するために、海外で頑張っている。満州国臨時政府、大満州国フォーラムは、満州建国の夢を持つ満州人若者が創立したサイトである。私は実際にネットを通して、彼達の中の一部の人と接触したことがある。日本以外の国に住んでいても、全員親日家である。日本人の愛国者は彼達の活動にもっと関心を持っても良いと思う。

私は漢民族の南方人だが、東アジア大陸で生活している諸民族の自由、独立、幸福を心から望んでいる。先ず現在のシナ共産党帝国を解体し、大中華思想を消滅させないと、諸民族の建国の夢は実現できないだろう。東アジア大陸の恒久平和を実現するため、日本人愛国者も親日民族である満州、そしてモンゴル、ウイグル、チベット等の民族の独立を応援して下さい。



満州はシナではないと思う方は、クリックよろしくお願いします。

br_decobanner_20100720162204.gif FC2 BLOG LOGO   gunkanki01.gif
スポンサーサイト

テーマ : 世界恒久平和を実現しよう
ジャンル : 政治・経済

シナ人と台湾人も認めた「尖閣諸島は日本固有の領土」の証拠

シナ人と台湾人も認めた
「尖閣諸島は日本固有の領土」の証拠


1955年 台湾の公文書の中では尖閣諸島は、琉球群島の一部であることを書いている

se1


1953年1月8日付け人民日報の「琉球群島の人民の米国占領に反対する闘争」と題された記事の中では、尖閣諸島を琉球群島の中に含んでいた。


1958年11月の北京地図出版社の編集部が出版した地図の「日本部分」の中で、尖閣諸島は日本領土に入っている。

text1958.gif

尖閣諸島1
尖閣諸島2



1965年10月に台湾の国防研究院と中国地理学研究所から聨合出版した世界地図の第一冊「東アジアの諸国」では、尖閣諸島は日本領土と明記し、しかも日本の名前「尖閣群島」と書いている
尖閣諸島3

尖閣諸島4



1965年11月に台湾政府が編纂、出版した「台湾省地方自治誌要」では、台湾の一番北の境界は、彭佳嶼に定めた

1968年10月に台湾で印刷発行した「中華民国年鑑」の中にも、台湾の最も北の境界を彭佳嶼に定めた

1970年以前に、台灣國立編譯館から出版した国民中学(高校)の地理教科書にも尖閣諸島を日本領土に入れて、名称も日本側の使う「尖閣群島」を使っている


se5.jpg

尖閣諸島6
尖閣諸島7

尖閣諸島は日本固有の領土であり、シナ人、台湾人の尖閣諸島の侵略行為は断固許せない方はクリックお願いします。

br_decobanner_20100720162204.gif FC2 BLOG LOGO           JAPAN



テーマ : 領土・領海・・経済水域
ジャンル : 政治・経済

撫順日本戦犯収容所の真実四

撫順日本戦犯収容所の真実四


特別軍事法廷でサインする日本人の姿

fu4

特別軍事法廷で裁判を受ける日本人達の姿
images.jpg


(おおむねの日本語訳)

 嵐のような犯行自白

1954年、最高検察院工作団は500人余りの工作隊を組織して、戦犯収容所に入った。彼らは下級日本兵から、自白運動を展開させた。上級日本人軍官に対しては、個別審判の方法を通して、一人一人取り調べで、自分の「犯行」を認識させる。管理所所長、崔仁杰さんは当時の状況を語った。「自白運動の中、我々が採用する方法は、戦犯全員を集めて犯行自白大会を行って、先に39師団の中隊長宮崎弘を、湖北白羊村で何十人ものシナ人を彼の手で殺した事を、他の戦犯たちに対し自白させた。彼のその自白を聞いた後、会場の日本人は呆然とした。何十人のシナ人を殺したにもかかわらず自白の勇気があった彼と比べて、自分達が犯した罪ははるかに軽いはずだ。自分達も自白すべきと認識した。毎回自白大会を行うとき、一人の日本兵の自白を聞くと、他の日本人達も強く共感して、話を聞いていた日本人捕虜達は「俺達は本当に悪魔だ」と発言し合った。

自白運動は一年続きました。その期間内、日本戦犯達はもの凄く緊張して、食事も食べられず、まるで生死の淵に徘徊しているようでした。山ほどの確実な証拠、さらに工作隊人員の嵐のような思想攻撃の下で戦犯たちは思想が変わった。日本軍は中国に来る目的は「建設」ではなく、「侵略」であることを認識した。最後は、武士道精神を代表する人物、藤田茂中将も自ら罪を告白した。彼が自白してから、他の日本人軍官も次々に自白した。特別法廷の裁判を経て、45名を除く、千名近くの戦犯たちが解放された。最後まで刑に服した1名は、1964年に帰国を遂げた。


シナ豚の結論
シナ共産党は、その時の日本兵捕虜に対して、2種類の方法を使いていた。1つ目は、明るい希望を与えて、早く犯行を自白した日本兵は早めに日本に帰れると暗示する。2つ目は、自ら自白せず頑固な日本兵に対して、厳しい手段を使い、毎日に個別審問を行って、何人ものシナ人が一人の日本人に自白を強要する。あらゆる方法を使って、犯人の自白を強要するのは、シナの刑務所では日常茶飯事である。管理所のシナ人職員や検察院工作団の人にとって、日本兵に自白させるのは共産党上級から受けた任務である。彼らは毎月、日本人捕虜の思想状況や学習状況や身体状況のほか、自白書を提出した人数とまだ自白してない人数も上級機関に報告しなければならない。上級機関が欲しがる自白書の内容、それは日本兵が自ら書いた殺人の数量や、残酷な内容が多い自白書だった。シナ人責任者は、管理した日本捕虜が共産党上級の要求を満足できる自白書を提出したら、彼ら自身の成績として、上級からは奨励を貰える。

上記日本兵がシナ人を殺した地名に注目してください。湖北白羊村、この地名はシナ人の私がいくら調べでも、実際の場所はどこにあるか分からなかった。湖北省、つまり満州国から2000キロ余り離れたシナ中部の省である。日本国とほぼ同じ面積、人口もかなり多く、湖北省の中に山ほど小さな村があったはずだと思う。あれほどシナ人を日本兵に殺されたはずの所なのに、正式の文書で県の名前すら記録していなかった。私の考えでは、当時シナ人軍事法廷は、日本人が自白した犯行現場にいったことがなかった。そして更に、犯行現場や犯行自体、明確な証拠のないデタラメだったと解釈できる。私が持っている「日本戦犯改造」の資料の中、日本人捕虜が自白した殺人方法は、シナ人犯罪者がよく使う犯行手段とすべて同じ、さらに被害者の身分や年齢や住所等の資料もなく、凶器、犯行現場、など正式な法律文書の中に必ず記録する要素もなかった。記録が残ったのは自白書、シナ人証人の証言のみ。シナ人の軍事法廷は、これらの日本人捕虜を審判したのに、自白した犯行の時間、地点、人物、動機は一切はっきりしていなかった。少しでも法律知識を持っている人に言わせば、これは非常におかしな話ではないだろうか。


シナの戦犯収容所で見事に「改造」された中帰連の日本人は非国民と思っている方は、クリックよろしくお願いします。


豚のダンスFC2 BLOG LOGO      メガネの豚

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

撫順日本戦犯収容所の真実三

撫順日本戦犯収容所の真実三


講演会を聞いている様子
fu2

管理所の職員が日本人兵士と話している様子
fu6

(携帯で中国語表示できないため、原文の中国語省略)


おおむねの日本語訳

 我々は、下級日本兵の中の90%が、貧しい労働者の家庭で生まれたことを知ったので、一つのアイデアを思いついた。それは、「悲惨な我が家の歴史を述べる講演会」を行うことだ。我々は、これらの日本兵の中から、一番貧しい家庭出身の日本兵を選んで、彼らに実家の悲しい物語や、どのように資本家より迫害されたのか、皆の前で演説させた。

 これに対して他の貧乏な家庭出身の日本兵も共感を持ち、物凄く効果があった。講演会を終えた後、殆どの日本兵は涙をこぼした。すると、同じ貧乏な家庭出身の日本兵はだんだん我々の味方になった。呉浩然は「下級日本兵自身やその家族の貧乏や悲惨な生活は、運命によるものではなく資産階層の搾取によるもの、天皇は慈善の神様ではなく、日本搾取階層の総代表であり、天皇に従うのは、つまり資産階層に命を渡すことだ。だから、日本兵は自身が罪を犯した、恥ずべきであると感じなければならない。」と回想した。

 二年の思想教育をかけて、下級日本兵の中、80%の人は自ら「罪」を認めた。さらに彼らは自分たちの犯した2980罪状を作成、637件の他人告発文を提出した。


シナ豚の結論:当時管理所にいた日本兵は皆、早く日本に帰りたい気持ち、家族に対する思いは非常に強かった。しかしながら、シナ人は、そのような気持ちに乗じ、家族物語の講演を利用し、貧しい家庭出身の下級日本人兵士の、裕福な家庭で育った日本人上級軍官や上層の日本人に対する不満を煽った。そして管理所内の日本人を分化させて、自覚のないうちに80%の日本人兵士は、シナ人の味方になった。つまり「我々は中国人だけど、日本人兵士と同じ貧しい家庭出身です。世界中の貧乏な人こそ、本当の仲間だ」という思想を下級日本人兵士は注ぎ込まれた。そして、これらの日本人兵士は、シナ人に「恩」を返すために、管理所職員の意思に沿えて、自ら犯していないはずの罪を認めた。

これはシナ共産党のお家芸、地主を粛清したとき、資本家と闘争したとき、よく使う常套手段。同じ五十年代、シナ各地の農村で行った「地主粛清運動」の中でシナ共産党幹部は、農民たちの地主に対する憎みを煽るために、ある方法を使った。実は昔のシナ農村では義理人情を重視する、素朴な農民がかなり多く、何の仇もない地主とその家族に、冤罪をつけて死に至らせるのは、普通の農民達はどうしてもできなかった。そこで共産党幹部は、農民の中の素行が悪く、人間性欠如のごろつきを選んで、彼らに地主の罪状をでっちあげさせて糾弾させて、さらに貧しい農民の悲惨な家族物語を演じる「白毛女」などの映画や演劇を農民たちに見させて、人々の共感を得て、その直後に公判大会を行って、地主を即座に銃殺した。シナ共産党の言葉で「発動群衆」とはそういうものだ。しかし、仇討ちを重視するシナ人と違い、日本人は報恩の気持ちが非常に強い。もちろん共産党も知っていた。そこでそれらの日本人に虚偽な恩恵を与えて、デタラメな罪を認めさせることに成功した。

 本文最後の数字に注目して下さい。700人余りのうち80パーセント、つまり560人の日本人の犯行は2980条あり、一人平均は6条もあります。信じ難い奇妙な話だ。
                                    
 (つづく)

シナの戦犯収容所で見事に「改造」された日本人は非国民と思っている方は、クリックよろしくお願いします。


豚のダンスFC2 BLOG LOGO      メガネの豚

テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

撫順日本戦犯収容所の真実二

戦犯管理所で日本人が水餃子を作る姿

fu7

日本人捕虜の思想教育の為、戦犯管理所で製作した日本語演劇

fu5

     撫順日本戦犯収容所の真実二

(携帯で中国語表示できないため、原文の中国語省略)

おおむねの日本語訳

 一番最初に日本戦犯らに思想の教育を行ったのは呉浩然と張夢実で二人は管理所の職員だった。「撫順市誌」の記録によると1952年2月に周恩来総理は「これらの戦犯をしっかり教育し、罪を認めさせる」という指示の前に、呉浩然と張夢実はすでに管理所の中で戦犯学習組を開設していた。

 早稲田大学で卒業し、日本人の国民性を理解し、日本語堪能の元満州国国務総理大臣の息子張夢実さんは、レーニンが書いた日本語版の「帝国主義論」の本を「日本戦犯」達に勉強させる事をはじめて提案した。吴浩然さんは「戦犯学習組」を開設し、80人余りの勉強することを望む日本人を、六つの学習クラスに分け、資料を渡して、討論させた。日本の大學に入れなかった大河原孝一にとって、収容所はまるで大学のような存在だった。彼は学習組のリーダーを勤めるだけではなく、25人のメンバーを集めて学習討論会を行った。


シナ豚の結論
シナ人が日本人を改造する第一歩は、いわゆる思想教育、つまりシナ共産党の思想を日本人の頭の中に注入、共産主義等の書物を見させて、日本は帝国主義国家や侵略国家であることを認識させることです。


以上の文章は旧ヤフーブログから移した内容であります。



シナの戦犯収容所で見事に「改造」された日本人は非国民と思っている方は、クリックよろしくお願いします。


豚のダンスFC2 BLOG LOGO      メガネの豚


テーマ : 歴史
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

支那豚の楽園

Author:支那豚の楽園
洗脳されてなかった一匹の支那豚、かつて支那共産主義青年団に加入した経歴があるけれど、今は立派な反共戦士。私の主張は支那人およびアジア人は日本人から頂いた様々な恩恵に感謝しなければならない。
真実はここへ

当ブログは、世界中の政党、政治団体、宗教団体、国家機関等とはまったく関係がない、ご了承ください

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
おすすめの本
やまと新聞

支那豚の楽園のtwitter
pigzhinaをフォローしましょう
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
English English得袋.com
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
MADE IN JAPAN 商品紹介
 
 
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。