スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

年越しの記憶

新年明けましておめでとうございます。応援のクリックお願いします。
豚のダンス 


年越しの記憶

ここ数年の新年、殆ど日本で過ごしていた。日本の新年と言えば、除夜の鐘、神社への初参拝、お餅など、とても穏やかな気分を感じていた。シナ人にとって、新年とは、西暦の元旦ではなく、旧暦の新年である。旧正月はシナ人の一年中で一番重要な祝日である。その時、普段、外で離れ離れの家族が集まって、一家団々、盛り沢山の料理を食べたり、お酒を飲んだり、お話をしたり、賑やかな気分である。

子供の頃の私が、もっとも好きだった時期は、やはり春節、つまり旧正月のことだ。子供頃の記憶では、大人達は春節の一、二か月前から、年越し料理の準備を始めていた。除夜の「団年飯」と、正月の料理は、昔のシナの子供にとって一年中で一番美味しい料理である。私の故郷での年越し料理で欠かせないものは中華風ソーセージ 、中華ベーコン、魚、鶏、肉等、また、子供が好きな「麻花」等の揚げ物や、落花生、向日葵の種、西瓜の種などのスナックも毎年の正月前に必ず用意する。除夜の「団年飯」の前に、爆竹に火をつけるのはお父さんの役目。その時、子供の私と弟は巨大な爆竹音をいつも怖がって、耳をしっかりと覆い、お祖母ちゃん、お母さんの後ろで隠れている。除夜の夜、子供は一年で唯一早寝しなくてもいい、徹夜で遊ぶことができる日。

新年の0時になったら、殆どの家の子供は外に出て、あらかじめ用意した爆竹、花火を付ける。大きな爆竹の音と綺麗な花火は夜空を飾り、とても美しい風景である。大人はいつも通り家でシナの中央テレビ局(CCTV)の「春節聯歓晩会」を見る人が多い。

正月は、日本と同じで、子供達は大人からお年玉をもらえる。八十年代の頃、シナ人一人つきの平均月収は100元位、それでも、お年玉の額は20元~10元ぐらい、要するに大人の月収の五分一から十分一、少なくとも大人は子供に五元の人民元を渡す。家の親戚が多い子供は、お正月に2百元、3百元ももらえたそうだ。しかし、子供のお年玉だと言っても、結局、家の両親に学費の積立金として没収されてしまう子供が殆ど。それでも子供は大人から少し自由に使えるお金をもらえる。美味しい料理を食べたり、思い切り遊んだり、子供にとって、これより楽しいことは何もないはず。

しかし、90年の春節から、シナの春節には変化が見られるようになった。90年のCCTV春節晩会では、「共和国衛士」の母親達が登場した。所謂「共和国衛士」は、1989年天安門事件で暴徒に襲撃され命を落としてしまった数名の解放軍兵士だそうだ。六月四日後、天安門事件はシナ当局に「反革命暴動」として認定され、全国でデモ、絶食に参加した市民、学生達は反革命暴動分子と定罪された。多くの参加者は投獄された。

当時政府のニュースによると、数名の解放軍兵士は反革命暴動分子に火をつけられたり、殴られたりし、殺されてしまったそうだ。彼らは事後、当局から「共和国衛士」の栄誉を与えられ、「革命烈士」と追認された。そして、彼らの母親は英雄の母親として1990年の春節晩会に招待、顕彰された。シナCCTVの殆どの番組はシナ政府の意向に従い、政治的意味がとても強い。春節晩会は視聴率が高く、シナ政府はいつも人民への洗脳、宣伝の道具として利用している。

その「共和国衛士」の一人の名前「劉国庚」は、私は今でも覚えている。数年後、その「劉国庚」は1989年六月に北京の長安街で四人の市民と学生を射殺した張本人だったことが判明した。彼の死亡は、彼が防備していない時に何人かの北京市民が復讐の怒りのため、攻撃した結果だそうだ。完全武装した軍人が銃、手榴弾等の現代武器を持っていない市民に殺されるのは、単に運が悪かったと言える。四人の無実の市民と学生を殺した彼の死は、まさに自業自得の天罰だと思う。

但し、1990年以後、「共和国衛士」という名詞自体、シナ人の中から段々消えていった。シナ政府が天安門事件に関する記事を全面封殺したことによって現在、シナの若者は、「共和国衛士」という名詞も知る人が非常に少ない。

 1990年春節以後、私にとっての子供時代は終わった。その後の春節は、大人達はどこの親戚の家に行っても、麻将(マージャン)(シナで麻雀のことを「麻将」という)をやる。しかし、子供時代に春節に対する望みと楽しみを失った私は、すでに十年以上、シナの故郷での春節を過ごしていない。

ブログランキング参加中、クリックよろしくお願いします。

戦争論2FC2 BLOG LOGO    豚の微笑み

スポンサーサイト

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

冬の夜、忘れられない記憶

冬の夜、忘れられない記憶

また冬になった。毎年冬になると、ある特別な記憶をいつも思い出している。それは小学校四年生の頃に目撃した衝撃的な出来事、当時私はまだ10歳の子供、しかしあの事件は、私のその後の人生に大きな影響を与え、永遠に忘れる事ができない。あの事を思い出すと、今まで自分が選択した道は正しいと信じることができる、私の思想の原点とも言える。

 小学校の頃、私の一家は、父の会社から分配された一つの部屋に住んでいた。部屋全体で15畳くらいの大きさで、キッチン、トイレ、浴室はない。元々会社の貯蔵室であったが、父は知識人であるため、会社は、私たち一家のために、特別にこの部屋を譲った。部屋は二階にあり、一階は会社の事務室。父は木の板を使って、一つの部屋を居間と寝室の二つに区切った。父は、私と弟が共用するベッドを会社の工場エリアに面する窓際に置いた。ベッドに座ったまま、窓から会社の受付室と駐車場、バスケットコート等、全ての工場エリアを見られる。

 ある日の夜中、突然大きな騒がしい声が寝ている私を起こした。布団を抱いたまま座って、窓から外を見ると、三四十代くらいの女と、警備の人や何人かの会社の幹部が、言い争いをしているようだ。女は長い髪を振り乱し、泣きながら一人の幹部の上着の襟を捉え、大声で叫んでいる。あの幹部は女の腕をつかみ、引き離そうとしたが、女は必死に捕まえてどうしても離せない。すると、警備の男は警棒のような物を出して、あの女の体を強く打った。女は痛がっているように見え、ようやく幹部の服から手を放した。しかし、男らは彼女を逃がさず、殴ったり蹴ったりし彼女が地面に倒れるまで続けた。子供だった私は、初めてこのような暴力的な場面を見た。恐くてこれ以上見ることができず、ベッドに戻って横になった。

その時、外は静かになったが、強い北風が吹いていた。あの女の恐い顔はどうしても忘れることができず、なかなか寝られなかった。およそ30分後、窓からまた変な音が聞こえてきた。好奇心を持ちながら、再び外を見ると、今まで見たことない衝撃的な場面を目にした。あの女はなんと縄で電柱に縛られていた。冬の夜中に聞いた、北風の音と女の大きな泣き声は、まるで鬼が泣く様な声で、とても気味悪く聞こえた。「息子を帰せ!」やっと私は彼女が叫んでいる言葉がわかった。彼女の悲惨な叫び声は、私の幼稚な心を強く打った。まだ見たかったが、知らないうちにベッドの前に母が立っていた。「まだ寝ないの?あした学校でしょ」。母に私が目撃したことを教えたいが、弟を起こしたくないため諦めた。

翌日の朝7時に、私は起きた時、電柱に縛られた女はすでにいなくなった。通常通りに学校に行ったが、その日は、あの女の事をずっと考えていた。下校の時間となって、急いで家へ帰り、一階の会社の事務室の前を通ったとき、ちょうど二人の女社員の話を聞いた。昨夜の女の話のようで、私は耳をドアにあて、一所懸命その内容を聞いた。

電柱で縛られた女は、近くの農村に住んでいて、寡妇一人で9歳の息子を育てた。しかし、先日、彼女の唯一の息子は、父の会社の車に巻き込まれ亡くなってしまった。会社は補償として彼女に三千元人民元を与えたが、彼女は満足できず、会社に来て泣いたり叫んだり、騒動を起こした。その内容を聞いき、その場から去ろうとした所、事務室の二人の女の最後の話を聞いた。「田舎物が三千元も貰えればありがたいことだ。まだ満足できないなんておかしい」当時、都市戸籍を持つ人が交通事故で亡くなった時、賠償の基準は三千元、農村の人は二千元しかない。父の会社は彼女に都市部の賠償基準に従って賠償した。しかし私は、彼女はお金の目的ではないような気がした。(当時、二千元はカラーテレビ一台の値段)

 一ヶ月過ぎてから、私はこの事件の展開にまだ関心を持っていたため、父にあの女の事を聞いた。悲しいことに彼女は、あの日の朝6時に父の会社の幹部らに精神病院に送られたそうだ。父からその結果を聞いたら、私は怒った。「なぜそんなことをしたの?なぜあの女を殴ったの?」父は「ここは中国だ、中国のやり方はそうなのだ。彼女の息子は国家幹部の息子ではないのに、なぜ余計な要求をするのか?」その日、父の話を理解できなかったが、初めてのこの国の異常さを感じた。その後、シナの社会で他の様々な異常を見ながら大きくなり、心も段々ほかのシナ人と同じように冷たくなった。

この人生で、私がシナ人として生まれたのは、人間の不平等、人々の苦難を見るためではないと時々考える。日本人の皆さんは、日本人として生まれて、素晴らしい日本に住んで、本当に幸せなことだと思う。だからこの素晴らしい日本をぜひ大切にしてください。


シナはおかしいだと思う方は、クリックよろしくお願いします。

戦争論2FC2 BLOG LOGO    豚3

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

反支那の親日シナ人の物語

反支那の親日シナ人の物語

ff.jpg
                シナ糞青の似顔絵

先日、何処かのブログで当ブログに関する面白いコメントを発見した。「なぜ支那豚さんは、祖国支那そして同胞支那人が嫌いなのか。」というコメントだった。そのコメントの解答として私は、日本人に親日シナ人のことを紹介したい。

ここ数年間に、私は何人かの親日シナ人とインターネットで出合った。彼達は殆ど80年代、90年代シナ大陸で生まれ、徹底的な反日教育を受けた青年達、私と比べて、彼達は天安門事件の経歴もない、80年代の爆発的な親日ブームも経験していない、しかし、彼達は私と並ぶ程親日感情を持っている。私と同じようにシナ人が嫌い、或は憎んでいる。なぜ、親日シナ人は自分の同胞であるシナ人とシナが嫌いになったのか?彼達はどうやって洗脳から解かれたのか?ネットで知り合った、一人の女性から聞いた話をここに述べたい。

 彼女は90年代に生まれた若者、この年代にシナ都市部で生まれた大多数の子供と同様一人っ子である。両親は仕事が忙しい毎日の中、内面的な性格の彼女の唯一の友達は日本の少女漫画だった。90年代からシナは日本漫画の海賊版が溢れている。お小遣いを貰ったら、すぐに売店や本屋で漫画を買って読むことは、子供達にとっては当時珍しくないことだった。彼女は漫画から日本のことを色々知りながら、日本のことが好きになった。インターネットがシナで普及してから、彼女は日本文化を紹介するサイトを作った。しかし、そのサイトを作ってからまもなく、彼女はシナ人からスパム、サイバー 攻撃、トロイ木馬の設置などの、嫌がらせ行為を受けた。やむを得ず彼女はそのサイトを閉鎖した。

その後、彼女はシナの巨大掲示板で、日本漫画の愛好家スクールを作った。800人位の会員も集まった。しかし、反日糞青は毎日日本や、彼女のことを罵ってくる。そのとき、彼女は親日とは言えなく、シナ人が捏造した日本軍の侵略罪悪も信じていた。ただ、日本漫画が好きなことが原因で、自分の同胞にとても汚い言葉で罵倒されることがどうしても理解できなかった。彼女は非常に困惑していた。最後、このスクールも反日シナ人の破壊、分断によって、解散した。彼女は、私に「あいつら(反日糞青)を殺したい気になった」と解散当時の心情を語った。漫画愛好者スクールを解散したが、彼女は日本文化が好きな気持ちは全然変わらなかった。さらに多くの日本に関する情報を手に入れるため、彼女はついにシナのインターネット検閲を突破し、そして今まで知らない事実、歴史真相を沢山知った。真相は知れば知るほど、彼女はシナが嫌いになり、日本を好きな気持ちがもっと強くなった。そして、彼女は今、海外のインターネットでいつもシナ人のことをシナ畜と呼ぶ。

私の知り合いの親日シナ人は殆ど彼女と同じ経歴がある。元々両国の政治に無関心であり、日本のドラマ、映画、文学作品、アニメ、漫画等を好む理由から、大勢の同胞に侮辱、中傷、人身攻撃を受けた。その言論攻撃の強さは、一般の日本人の想像をはるかに超えている。シナのネットで、日本と日本人のために公平な話を言うだけで、沢山の反日シナ人に「漢奸」「売国奴」と呼ばれるのは間違いない

一人の親日シナ人は、下記のように同胞のことを批判していた。「反日シナ人の汚い、下品な言葉は大多数の日本人を傷つけられない。日本人はシナ語が分からないから。一番傷つく人は同胞である私達だ。しかし、彼らはいくら下品な手段を使っても、我々の愛する趣味を奪うことができないし、我々の考え方を変える事ができない。彼らの行為によって、かえって私はいっそう日本が好きになり、自分の同胞を嫌いな気持ちとなった」

 私の知り合いの中の80,90年代に出生した殆どの親日シナ人は、自分の同胞の過激な攻撃を受け、追いつめられた結果、自分の母国、同胞に反発し、そのまま親日反シナのシナ人になった。同年代ではないので、私自身が親日反シナとなった理由は彼達と違うが、実際に彼達と同じ経験も沢山あった。十分に彼達の考え方を理解できる。親日シナ人は大勢の反日シナ人の中で極めて少ない、異なった人種である。日本人の皆様は、我々の思いを理解できるでしょうか?



シナ在住の親日シナ人の勇気に感服している方は、クリックよろしくお願いします。

戦争論2FC2 BLOG LOGO     豚の微笑み






テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

シナのマスコミ

シナのマスコミ

以前、日本のマスコミが嫌いだと言ったが、しかし、日本のマスコミはいくら言っても、独裁国家であるシナのマスコミよりまともだと思う。シナのマスコミは、シナ共産党の話では、党の喉と舌である。本当のこと以外はなんでも言う。その中で代表的なメディアは、シナのCCTV(シナ中央テレビ局)毎日夜7:00からの「新聞聯播」(シナ語で新聞の意味はニュース、日本語とは意味が違う。新聞聯播はつまり総合ニュースの意味だ)。

ネットの一部シナ人がふざけて言う話では、その「新聞聯播」の始まりの10分は、国家リーダー達は皆忙しい。中間の10分はシナ人民はとても幸せ。最後の10分は世界中の人々は厳しい生活をしている。分かりやすく説明すると、シナのニュース報道は、始まりの10分は国家リーダーの活動報告、通常会議、各地で視察、外国要人と会見など、中間の10分は、国家の今年のGDPはいくら上がったとか、今年の住宅はいくら売れたとか、どこかの農民は家や車を買ったとか、人民生活水準の向上や国力の増強など、いい事ばかりだ。最後は国際新聞、世界中に発生した自然災害、凶悪な犯罪事件を中心に報道している。とにかく、シナのニュース報道は、わが国は全て良い、外国は良くないという印象を視聴者に与えている。たとえ、シナで自然災害等の悪い事件が発生したとしても、シナのメディアは悪い事を良い事にする。国家リーダーは災害現場に行ったり、あるいは重要な指示を出したり、被災地の人々の生活は安全になって、さらに政府や人民解放軍に感謝する話ばかりだ。

シナでは公の場合において、誰も本当の事を言わない。独裁国家であるシナにおいて、シナ人は皆生まれつきの役者。新聞、ニュースではあらかじめ準備した台詞を言っている。たとえば、今月のニュース報道の中心が、全国の人民は胡錦濤主席の講話精神を学ぶことならば、シナのマスメディアが放送したニュースはこのようになる。

一、 農村部、汗まみれの老農民は興奮げに語った「胡錦濤主席の講話を学んでから、この村は今年豊作を迎えました。我々の生活はますます豊かになりました、とても胡錦濤主席に感謝しております。」

二、 大型工事現場、ほこりまみれの労働者は「胡錦濤主席の講話を学んでから、我々労働者達はさらに力を持ちました。われわれは早く党や人民が頼んだ任務を完成させることを保証します。」

三、 研究所、メガネを掛けている科学者は、「今年、わが国の科学研究は重大な進歩を遂げました。それは胡錦濤主席の講話精神のおかけです。」

四、 大學、真面目に勉強している大学生は「今年、胡錦濤主席の講話を学んでから、党や人民のため、多様な知識を身に着けるべきと悟りました」。

五、 軍隊 真剣に訓練している兵士達は「今年、胡錦濤主席の講話を学んでから、我々戦士たちの訓練水準が飛躍的進歩を遂げました。必ず党や人民の期待に応じ、しつかり国を守ることを誓います」

六、 幼稚園あるいは小学校、可愛い子供達「胡爺ちゃんの講話を学んでから、もっと先生の言う語を聴くようになりました。祖国の明るい未来の為、我々も頑張ります」

私はシナの国営会社で勤めていた時、この会社も同じ事をやっていた。テレビ局や新聞社などの人が会社に入る前に、あらかじめ準備した台詞を渡して従業員達に覚えさせる。訪問された従業員は皆決まった言葉を言う。万一頭がよくない従業員が間違えて違う言葉を言っても、それ程心配は要らない。何も言わなくてもテレビ局や新聞社の人達はカットしてくれる。とにかく上級機関を満足させる台詞を出すのが一番であった。

このような嘘を知っている私から見ると、なぜ、外国人はシナのメディアが掲載していることを信じているのか、とても不思議だと思う。シナにおいて、嘘をつかないと生活できない、状況によって、本当の事を言ったら、命を狙われる可能性もある。だからシナ人はほとんど皆二重性格で、社会で一つ、家庭内で一つ、そのため人と人の間に信頼関係を築くのはとても難しい。


ブログランキング参加中、クリックよろしくお願いします。

豚のダンス FC2 BLOG LOGO               豚の微笑み





テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

反日から親日への歩み二

反日から親日への歩み二

passport.jpg

自ら支那人であることを証明するため、パスボート、卒業証明書、中国の運転免許証、出生公証書は揃って写真を撮った。個人情報を保護するために、これ以上の証明書を出す事ができない。中国の国籍は退出申請済みなのでパスポートをカットされた。


 その後、念願の就職も出来た。親戚に関係者がいたシナの国営会社に入った。しかし、複雑な人間関係や慣れない政治学習に悩んで、一年半位で、自ら国営会社に離職届を出した。離職してまもなく私は、シナにある外資系会社に入った。その会社は、経済技術開発区にある米国系の会社だが、当時の社長は60代位の日本人だった。その方は、すごく礼儀正しく優しい方であり、私が新入社員であるにもかかわらず挨拶をしてくれ、また、笑顔で接してくれた。日本人と初対面であったが、私は思わず日本人に好感を持ち始めた。今まで見慣れたシナ人社長や共産党幹部などの傲慢、威圧的な態度と比べて、その日本人社長はまるで神様のようだと思っていた。シナ共産党の宣伝もう信用できず、日本人の真実の一面を知りたいと思い、自分の手で真実を発見しようと決意した。

 それから、日中戦争の歴史真相を求めるために、休日を利用して、図書館に行って資料を探したり、お年寄りの所に行って話を聞いたり、独自の調査を行った。殆どの訪問先では、自ら目撃した日本軍が行った残虐な事件は一件もなく、そのような残酷な話は他の人から聞いた噂であるとわかった。さらに、当時85歳の老婦人は、非常に価値がある情報を教えてくれた。彼女は、20代頃、日本人の医者に虫歯の治療を受けて、金歯を入れ変えた。その医者の高度な医術のおかげで、彼女の歯はとても元気で、六十数年が過ぎでも硬いものを食べられるそうだ。彼女の話を聞いて私は色々考えた。もし当時シナにいた日本人は、シナ共産党の宣伝のような凶悪な人間ならば、20代の少女一人、安心して日本人医者の治療を受け、貴重な金歯を入れさせるのは無理な話ではないか?

 その事実を知った後、会社の飲み会で沈陽(旧満州国奉天)出身の同僚からもう一つの話を聞いた。彼の父親は小さい頃「猩紅熱」で40度以上の高熱を出した。家族があらゆる方法を使っても、熱が下がらない。仕方がないので、当時、近所で住む日本人に頼んで、夜中に日本軍陸軍病院の軍医を家に呼んで来てもらった。その医者から抗生薬品の注射を受けて、一命を取り留めた。同僚の実家は、ごく普通なシナ人家庭で、祖父は小さな雑貨店を経営し、タバコやマッチや石鹸などを売っていたそうだ。もし日本軍が皆凶悪な殺人魔王ならば、普通のシナ人が日本軍人を家に呼び込むことはまったく想像できない。

 なぜ、これらの普通なシナ人が圧力もない日常会話で口にした日本軍のイメージは、シナの教科書や映画やマスメディアが宣伝した殺人鬼のような日本軍のイメージと異なっているのか? 私はその時までに、インターネットや海外の友達を通して、シナ共産党による「鎮反運動」、「土地改革」、「反右運動」、「大飢饉」、「文化大革命」、「天安門事件」等の歴史真相をすでに知っていたので、今まで誰が嘘をついていたのか一目瞭然となった。

 小さい頃からシナ共産党による強制洗脳の教育を受けて、言論や反対意見の全面封殺によって、殆どのシナ人は自ら思考の能力を失った。幸い私は、小さい頃から、親や先生の言う事をあまり聞かないタイプなので、思考の能力は少し残った。そのおかげで、シナ共産党の洗脳から脱出することができた。それから様々な日本人と出会って、日本に渡って、さらに広い世界と自由な思想に接して、日本の文化や歴史や社会なども色々知る事ができた。日本が好きになったのはごく自然なことでした。


ブログランキング参加中、クリックよろしくお願いします。


br_decobanner_20100720162204.gif FC2 BLOG LOGO      豚の微笑み

テーマ : 中国問題
ジャンル : 政治・経済

プロフィール

支那豚の楽園

Author:支那豚の楽園
洗脳されてなかった一匹の支那豚、かつて支那共産主義青年団に加入した経歴があるけれど、今は立派な反共戦士。私の主張は支那人およびアジア人は日本人から頂いた様々な恩恵に感謝しなければならない。
真実はここへ

当ブログは、世界中の政党、政治団体、宗教団体、国家機関等とはまったく関係がない、ご了承ください

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
FC2カウンター
FC2カウンター
現在の閲覧者数:
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
おすすめの本
やまと新聞

支那豚の楽園のtwitter
pigzhinaをフォローしましょう
日本語→英語自動翻訳【星条旗】
English English得袋.com
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
MADE IN JAPAN 商品紹介
 
 
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。